帝國博物学協会
越中國
越中御所
 所在地 富山県射水市八幡町2
 交通機関 万葉線 東新湊駅下車 徒歩10分
 別  名 -
 略  歴 明応3(1493)年6月、越中守護代神保長誠は、京都の龍安寺に幽閉されていた将軍足利義材を救出し、放生津の正光寺に迎えた。
義材はここに幕府を設置し、近隣の大名からの支持を受けた。
長誠は新たに越中御所を建てて義材を住まわせた。
義材は奉公衆伊勢貞仍、吉見義隆、畠山政近らを指揮して御判御教書・御内書・奉行人奉書を発給して、京都復帰を画策している。
都からは、多くの公卿や文化人がこの御所を訪れた。
明応8(1499)年、義尹は越前に動座して越中御所は廃された。
越中御所の跡には、寛文3(1657)年加賀藩放生津御蔵が建てられた。
享保3(1803)年、放生津城址に移転された。
 現  況 越中御所址は荒屋神社付近であったが、現在は遺構は残されていない。
境内鳥居横に案内板が立てられているのみである。

越中御所址

越中御所址と案内板

荒屋神社拝殿
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