和田山城 / 帝國博物学協会 加賀國
帝國博物学協会
加賀國
和田山城
 所在地 石川県能美市寺井町和田
 交通機関 JR北陸本線寺井駅下車 北鉄バス 寺井車庫 徒歩10分
 別  名 -
 略  歴 永正3(1506)年、越前守護朝倉貞景に追われた和田坊超勝寺により築かれたとされる。
永禄4(1561)年、加賀一向一揆の主導権争いで、本願寺が推す超勝寺・本覚寺連合が、光教寺・松岡寺・本泉寺の土着門徒土豪を破り、加賀は本願寺の領国に組み込まれた。 そのため、危機感を抱いた越前の朝倉教景は、能越の軍勢を率いて、手取川で一揆勢を破り、この地に陣を置き、拠点とした。
天正3(1575)年、織田軍の柴田勢が加賀に侵入すると、瞬く間に能美・江沼郡を支配下に組み込み、同8年には和田山城に、佐久間盛政の家臣、安井左近が置かれた。
安井左近は、賤ヶ岳の戦いで戦死し、和田山城は廃城となった。
慶長5(1600)年の関ヶ原合戦では、東軍の前田利長が西軍の山口・丹羽両軍に対する防御のため、和田山城を修理、家臣の岡島一吉らを入れて守らせた。
 現  況 現在城址は和田山史跡公園として整備され、本丸・二之丸・腰曲輪などの遺構・土塁・空掘などがよく残っている。
この城は古墳の上に築かれており、古墳の方は、和田山・末寺山古墳群として国指定史跡となっている。

二之丸土塁
と空掘

二之丸跡

二之丸と櫓台

二之丸跡

二之丸小口

二之丸跡

帯曲輪

二之丸土塁

本丸土塁と
空堀

本丸帯曲輪

本丸犬走り

本丸櫓台跡

本丸外郭

本丸櫓台

本丸内郭及び
仕切門跡

本丸腰曲輪

二之丸腰曲輪
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