七尾城 / 帝國博物学協会 能登國
帝國博物学協会
能登國
七尾城
 所在地 石川県七尾市古城町
 交通機関 JR七尾線七尾駅下車 七尾市循環バスまりん号 城山運動公園下車 徒歩50分
 別  名 松尾城・末尾城
 略  歴 七尾城の築城時期は詳らかではないが、応仁の乱の頃、能登守護畠山義統・義元の頃と思われる。
義統は、京での乱がほぼ静まり、やがて地方へと波及していく文明9(1477)年、能登へ帰国している。その際、乱を逃れた多くの公家・歌人・僧などが能登に入国している。
七代義総の頃がその全盛期で、守護権力がもっとも安定した次期でもあった。その頃までには現在見られる七尾城が整備されたと考えられる。
天文14(1545)年、八代義続が守護になると、国内では勢力争いが激しくなり、天文16年には畠山駿河父子の叛乱が発生、同19年には駿河父子鎮圧に功のあった温井総貞と守護代遊佐続光が勢力を争っている。
このような中、九代義綱の頃、畠山七人衆による合議制に移行したが、勢力争いは収まらず、遂には遊佐続光によって守護義綱は追放され十代義慶が擁立された。
天正元(1573)年、越後の上杉謙信が軍を能登に進め、七尾城の攻略をはじめたが、堅城七尾城を力攻めすることなく、兵糧攻めを行っている。この間、城内では疾病が流行し、城主春王丸を失った。
天正5年、篭城派の長一族が遊佐続光に討ち取られると、七尾城は上杉方に開城された。
謙信が七尾城本丸に立った折に詠んだと伝えられる「霜は軍営に満ちて秋気清し 数行の過雁月三更 越山併せ得たり能州の景 遮莫家郷の遠征を懐う」の詩は有名である。
上杉配下の七尾城には、鯵坂長実が城代として入った。
謙信の死後、織田軍が加賀まで侵攻すると、能登は前田利家に与えられたが、利家は七尾城に入らず新たに小丸山城を築いて移り、七尾城は廃城となった。
 現  況 現在城址は国指定史跡として整備され、本丸・二之丸・調度丸・桜馬場などの曲輪遺構や本丸・桜馬場付近の野面積みの石垣などがよく残されている。
また、三之丸と二之丸の間には大空掘が残されており、そこから、山下までの間には番所跡・時鐘跡・妙国寺跡などの遺構も残されている。

山下の
古城の池

蔵屋敷跡

妙国寺跡

長坂/赤坂口
門跡

時鐘跡

七曲り楼門跡

七曲り土塁

番所跡

安寧寺跡

三之丸跡

三之丸跡

大空掘跡

二之丸跡

温井屋敷跡

沓掛場跡

沓掛場跡

温井屋敷跡

寺屋敷跡

樋の水

調度丸虎口

西之丸土塁

調度丸石塁

袴腰跡

調度丸小口
と石垣

台所跡

遊佐屋敷下
石垣

遊佐屋敷石垣

本丸石垣

本丸門跡
登城口石垣

本丸跡

本丸櫓台跡

七尾城址碑

九尺石

長屋敷腰曲輪

長屋敷跡
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