大聖寺城 / 帝國博物学協会 加賀國
帝國博物学協会
加賀國
大聖寺城
 所在地 石川県加賀市大聖寺荻生町
 交通機関 JR北陸本線 大聖寺駅下車 徒歩15分
 別  名 錦城
 略  歴 大聖寺城の歴史は古く、鎌倉末期から建武の中興の頃にはすでに存在していたと思われる。
建武2(1335)年、北条一族の名越時兼が上洛軍を率いて加賀を通る際、土豪の敷地・上木・山岸・福田氏らがこの城に拠って迎え撃ったとされている。
建武4年には、津葉清文が在城したが、やはり土豪の敷地氏らに攻められ落城した。その後は一向一揆の拠点となっていたようであるが、弘治元(1555)年、越前の朝倉氏が加賀に侵攻し一向一揆の拠る大聖寺城は落城、和睦後城は破却された。
天正3(1575)年、織田信長の将は柴田勝家は加賀を攻略、大聖寺城を修復すると、城将に簗田広正を配した。勝家の尾山城攻略後、大聖寺城の城将は拝郷家嘉が配された。
天正11年、柴田勝家が羽柴秀吉と戦って敗れると、拝郷氏に替わって溝口秀勝が4万4千石入城した。
慶長2(1597)年秀勝が越後新発田城へ転封となると山口宗永が入ったが、関ヶ原の戦いで西軍に属したため、東軍の前田利長に攻められ奮戦虚しく落城、宗永は自害した。
戦後、大聖寺は加賀前田氏の領国に組み込まれ、大聖寺城には城代が置かれた。
元和元(1615)年、一国一城令のため廃城となった。
寛永16(1639)年、前田利治が7万石で分封されて大聖寺藩が創設されたが、利治は大聖寺城の麓に館を築いて入り、大聖寺城が利用されることはなかった。
 現  況 現在城址は錦城山公園として整備され、本丸・二之丸・三之丸・東丸・西之丸・鐘ヶ丸などの遺構・土塁などがよく残っている。
また、大聖寺藩館の長流亭が現存する。

山口玄蕃頭
大聖寺城址碑

東丸跡

遊歩道

東丸小口跡

鐘ヶ丸跡

西之丸跡

三之丸跡

二之丸跡

馬洗池

本丸方面
登城口

長流亭

戸次丸跡
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