帝國博物学協会
越中國
西岩瀬城
 所在地 富山県富山市四方北窪 
 交通機関 JR北陸本線 富山駅下車 富山地鉄バス 荒屋下車 徒歩10分
 別  名 岩瀬城
 略  歴 西岩瀬城は、南北朝期に足利氏の一族桃井直常によって築かれた。
直常は建武元(1333)年、建武の新政から離脱した足利尊氏に従って戦功を挙げ、若狭・伊賀・越中の守護となった。
観応元(1350)年、観応の擾乱によって足利政権が内乱状態となると、直常は足利家執事の高師直と反目した尊氏の実弟直義に加勢した。
その後、直義が急死すると、直義猶子で中国探題であった直冬を反師直の総帥として擁立し、南朝と連携して戦い続けた。
しかし、南朝勢力が衰微し、諸将が足利幕府に帰順していくなか、直常は反足利を貫いて西岩瀬城に籠城、遂に幕府軍によって落城、直常は討死した。
これにより、西岩瀬城は廃された。
 現  況 西岩瀬城には現在、真言宗海禅寺が建てられている。
海禅寺は元禄8(1695)年に、富山藩2代藩主前田正甫によってこの地が下賜され移転してきた。
海禅寺は方形館の形を残しており、周囲の畑が堀であったと考えられる。
また、南東側に土塁らしき土盛りが残っているが、これが城の遺構であるかよく判らない。

西岩瀬城南面

西岩瀬城西面

西岩瀬城東角

西岩瀬城東面

海禅寺山門

海禅寺本堂

西岩瀬城東面

西岩瀬城北面

土塁跡か
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