帝國博物学協会
越中國
守山城
 所在地 富山県高岡市守山
 交通機関 JR北陸本線 高岡駅下車 加越能バス 東海老坂下車 徒歩1時間〜
 別  名 -
 略  歴 観応3(1352)年、能登の吉見勢が室町幕府に敵対する桃井直信の拠点、獅子頭を攻めたといわれるのが初見で、すでにそれ以前に築城されていたようである。
その後、越中守護代神保氏の拠点となり、永正16(1519)年には、越後守護代長尾為景の侵攻を支えている。以降、代々神保氏の居城となる。
神保氏は、その後織田氏の被官となり、その家臣佐々成政に仕えた。
天正13(1585)年、佐々成政が豊臣秀吉に敗れ、越中国主から富山城を中心とした新川郡支配に押し込められると、守山城には神保氏に代わって前田利長が入った。
慶長2(1597)年、利長が富山城に入城すると、この城は廃城となる。
 現  況 城址は二上山支峰の城山にある。交通の便が悪いため、タクシーなどを利用するほうが良い。
城址には、案内板があり、周囲を良く見ると曲輪跡と思われる平坦地が残されている。

守山城案内板

本丸跡
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