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所在地 | 富山県射水市放生津 |
交通機関 | 万葉線 東新湊駅下車 徒歩10分 | 別 名 | - |
略 歴 |
文化年(1804〜1817)間、日本海にロシア・イギリスなど欧米列強の船が頻繁に現われるようになり、幕府を中心に海防への意識が急速に高まっていった。 こうした情勢の中、嘉永3(1850)年、加賀藩は領内防衛のために、伏木・生地の台場と共に、射水郡放生津裏に新たに台場を築造した。これが放生津台場である。 放生津台場には5門の大筒が置かれる予定で、台座まで築造されたが、結局砲は据え付けられなかった。 |
現 況 |
現在放生津八幡宮がある位置の北側に位置すると言われている。 神社の案内板には「嘉永3年(1850)4月、13代加賀藩主、前田斉泰公が方生津の砲台場を見分の折り参拝奉幣す」と記されている。 境内には台場の石垣が残されているというが、特に示されていないた。 個人的には本殿裏側の石塁ではないかと思ったが、よく判らなかった。 |
放生津八幡拝殿 |
放生津八幡境内 |
台場の石垣? |
台場の石垣? |
台場の石垣? |
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