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所在地 | 富山県富山市願海寺 |
交通機関 | JR北陸本線 呉羽駅下車 徒歩25分 | 別 名 | - |
略 歴 |
願海寺城は、天文14(1545)年頃、越中の国人で守護畠山氏の家臣であった寺崎氏によって築かれたと言われている。 天文19(1550)年、上杉謙信が越中に侵攻してくると、願海寺城は攻撃を受けて落城、城主寺崎行重は討死した。 後を継いだ民部左衛門盛永は、上杉氏に属して活躍した。 しかし、翌年謙信が没すると、その間隙をついて織田信長がの勢力が越中に進出してきたため、富山城に入った佐々成政に属して家名を守った。。 天正9(1581)年、越後の内乱を制した上杉景勝の家臣河田長親が、京都で行われた馬揃えで成政が不在な折に小出城を攻撃してきた。 成政は、急遽引き返してきたため、長親は兵を引いている。 この時の越中の国人の去就が織田方の疑念を抱くこととなった。 願海寺城は能登七尾城の菅屋長頼に攻められて落城、盛永・喜六郎は捕らえられた。 その後、二人は安土城へ送られた。 信長は、二人の切腹を命じ、7月17日、二人は佐和山城で切腹した。 これによって願海寺城は廃城となった。 |
現 況 |
願海寺城址は願海寺の加茂神社を主郭としていたとする。 発掘によると、その南方舘本から居館跡・堀・土橋・井戸、また土蔵の壁・食器などが見つかっている。 なお、そこに城址碑・案内板があるのであるが、今回は見逃してしまった。 |
加茂神社参道 |
堀跡と境内 |
神社北側 |
加茂神社 |
神社南側 |
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