帝國博物学協会
越中國
古国府城
 所在地 富山県高岡市伏木古国府
 交通機関 JR氷見線 伏木駅下車 徒歩5分
 別  名 如意城
 略  歴 この地には奈良時代に越中国の国府が置かれ、その後越中の中心として栄えたが、律令時代が過ぎると廃れていった。
天正年(1573〜1591)間になって、守山城主であった神保氏張によって、その出城として築かれたとされる。
その一方で、それ以前の戦国期に既に築かれていたとも言われている。
天正11(1584)年、富山城に入っていた佐々成政が越中を制圧した。
天正12(1584)年、成政が豊臣秀吉と敵対姿勢を強めていくと、国内に強大な勢力を持つ一向一揆の勢力を味方に付けるために、古国府城を含むこの地を勝興寺に寄進した。
これによって勝興寺はこの地に、移転する事になり、古国府城は廃城となった。
 現  況 古国府城址には現在でも勝興寺が建っている。
残念ながら古国府城について記載されたものは無いが、周囲の空掘・土塁など、遺構はよく残されている。
真宗の寺院らしく、城郭の櫓を思わせる鼓堂が建っている。
現在勝興寺は大修理が行われており、総門が動かされており、また殿舎群は大きな屋根で覆われている。

勝興寺寺内町
石碑

鼓堂

東側空堀

東側空堀

唐門(重文)

唐門(重文)

鼓堂

本堂(重文)

経堂(重文)

越中国府碑

水野枯れない
池と南土塁

南側土塁

西側土塁
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